SCIENCE TECHNI COLOUR
うな重が登場したのは昭和35年(1960年)頃のこと。江戸時代に始まったうな丼はそれまでのうなぎ料理の主流だったが、東京のうなぎ屋「重箱」が重箱にご飯と蒲焼をつめたうな重を始めたところ、高級感があり体裁が良いと言うので、他の店も真似するようになったといわれている。 大阪ではうな丼を「まむし」と呼ぶ。まだ保温設備が整っていない時代に、出前の際、蒲焼がさめないようにと、丼によそったごはんの間に蒲焼を入れて届けたことから「ごはんの間(ま)に挟んで蒸し(むし)を入れた丼」となり通称「まむし」と呼ばれるようになった。うなぎは昔から日本人に愛されてきた食材だが、90年代以降の急激なうなぎ消費増加により今や絶滅の危機に瀕している。近い将来、うなぎの食文化が消滅しないためにも、丁寧なうなぎ食を心がけたい。
蒲焼は江戸時代に成立した料理。醤油・みりん・酒・砂糖などの調味料の普及と活ウナギを捌く技術がなければ完成しなかったといわれている。関東では背開きにしてから白焼き、蒸してからタレをつけ本焼きに。関西では腹開きでそのままタレをつけて焼く。ウナギを串刺しにして焼いていた、以前の蒲焼の姿が蒲の穂に似ていたことから「がま焼き」と呼ばれ、転じて「かば焼き」と呼ばれるようになったといわれている。
白焼きとは、うなぎをさばいてそのまま直火焼きにした調理方法のこと。余分な脂を落とし、旨味を封じ込め、素材の味をそのまま楽しめるため、つうに好まれる食べ方だとされる。タレによる強い味付けがないため、天然ものと養殖ものの味の違いがはっきりとわかるのも特徴。わさび醤油や塩をつけて食べるとより一層素材の味が引き立つ。鰻職人の修行の奥深さを表す言葉に「串打ち三年、割き八年、焼き一生」がある。まず、生きたウナギをさばく技術を取得するのに八年かかり、さばいたウナギに串を打つには三年を要する。さらに、それを満足のいく状態に焼き上げる技は一生かかっても会得できるものではないという意味。ウナギの割き方や調理法は地域によって違う。そのため使われる包丁の形もおのずと異なる。例えば「江戸割き」ともいわれる関東型は、割くと同時に開いたウナギを切り分ける機能も備えた大ぶりの包丁。名古屋型は「伊勢型」ともいい、腹開きに特化した形、京都型はウナギを割くことに適した重量のある包丁をいう。
ウナギといえば山椒。うな重や蒲焼に薬味として使われる粉山椒は、山椒の雌株につく実を乾燥させて粉末にしたもの。また山椒の若葉は木の芽とよばれ、爽やかな風味でこれも薬味となる。漢方にも用いられる山椒には胃腸の働きを促進する効果があるため、脂ののったウナギを食べても胃もたれしにくく、さっぱりと食べられるという利点があった。今のようにタレをつけて焼く蒲焼がなかった時代には、焼いたウナギに山椒醤油や山椒味噌をつけて食べるのが主流であり、日本人は昔からうなぎと山椒の組合せを楽しんできたといえる。山椒とは対照的にウナギと食べ合わせの悪い食材とされるのが梅干しで、ウナギと梅干しの組み合わせが出てくるのは江戸時代後期になってからだがいつ頃からこの組み合わせが定着したかは不明。ただし、一緒に食べると体に悪いという科学的根拠は全くない。
私たちに馴染みの深い魚である鰻は、日本人が最も古くから食用としてきた魚のひとつ。縄文時代の貝塚からは鰻の骨が発見され「万葉集」には「むなぎ」の名で歴史に登場した。世界の鰻生産量のうち約半分を目本人が消費するといわれ、築地では天然鰻や養殖された鰻が、活魚のほか白焼き・蒲焼きなど様々な姿で流通している。「土用の丑の日」に蒲焼きを流行させたのは平賀源内だという説が有名だが、諸説あり、鰻屋の春木屋善兵衛が土用に大量の蒲焼の注文を受け、作り置きした際に丑の日に作ったものが日持ちが良かったからだとする説もある。天然物のニホンウナギの成魚は全長1m~1.3m。川の中流域から下流、河口、湖、内湾などにも生息し、秋口に成熟が始まると「銀ウナギ」に変態して太平洋へと産卵の旅に出て、マリアナ諸島西方海域の産卵場で産卵し、その一生を終える。孵化した仔魚は変態を繰り返し稚魚となり、黒潮に乗って東アジアの沿岸にたどり着き、川を遡って成長し成熟する。日本で消費されるウナギの99.5%は養殖もの。卵から稚魚を育てるというウナギの完全養殖は困難なため、シラスウナギ漁がウナギ養殖には不可欠だが、ウナギ資源は1970年代から減少を続けており、シラスウナギの日本国内での漁獲量はピーク時の200トン超から2013年には5.2トンにまで落ち込んだ。2013年2月には環境省のレッドリストに、2014年6月には国際自然保護連合のレッドリストに絶滅危惧種として選定された。重要な食文化である鰻ではあるが、今後は食べ方を工夫する必要があるだろう。
ウナギの稚魚をシラスウナギと呼ぶ。体色は透明で全長50~60mmほど。シラスウナギはフィリピン東方のマリアナ諸島付近で生まれ、黒潮に乗って台湾や、中国、韓国、日本にたどりつく。生まれてから河口に到着するのはおよそ半年後。変態が終わったところで黒潮を降りるため、変態終了のタイミングによりどこにシラスウナギが到着するかが決まる。卵から育てるウナギの完全養殖は困難で、ウナギ養殖に不可欠な天然のシラスウナギは高値で取引され「白いダイヤ」とも呼ばれている。90年代以降、スーパーやファストフード店、コンビニ等での安価なウナギ消費が始まり、シラスウナギは絶滅の危機に瀕している。2014年には国際自然保護連合により絶滅危惧種の指定を受けた。食文化を未来へ残すためにも食べ方を考えるべき時期にある。
ぬまがさワタリ著『図解なんかへんな生きもの』(光文社)の中で、ニホンウナギの生態や絶滅危惧種に指定されるまでの経緯などが紹介されている。美味しいウナギを100年先まで残すためにも実情を知っておきたい。
ウナギは太平洋をダイナミックに移動する回遊魚。縄文時代から重要な食資源として食されてきたが、その産卵場所や回遊ルートは長らく知られていなかった。2009年に日本の研究チームによりニホンウナギの移動経路が明らかになった。
みんな大好き!ウナギを学ぼう!!
製作協力:©塚本勝巳 ©光文社 ©ぬまがさワタリ 企画総指揮:佐藤純也
@numagasa HP: http://numagasa.hatenablog.com
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