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横綱の土俵入りには「雲龍型」と「不知火型」の2つの型が存在する。雲龍型はせり上がりで左手を胸に当て右手を伸ばすのが特徴で、右手が攻めを、左手が守りの『攻防兼備』を表す型ともいわれている。北の湖や千代の富士といった大横綱が多く雲龍型であったため、縁起の良い土俵入りの型として見られることが多い。
横綱の土俵入りには「雲龍型」と「不知火型」の2つの型が存在する。不知火型はせり上がるときに両手を伸ばすのが特徴で、両手が攻めを表す『攻撃』の型ともいわれる。堂々とした迫力のあるスタイルであるために、伝統的に大柄な力士が演じると見栄えの良い型とされる。数多の記録を更新する白鵬翔の土俵入りの型である。
満員御礼が出た際に日本相撲協会から関係者に配られる縁起物。十両以行司、呼び出し、床山、報道関係者などに配布される。大きさは縦16.2cm、横10.5cmで、表には赤地に白で大入の文字が入る。中身は十円硬貨が1枚。戦前は十銭硬貨が1枚入っていた。九(凶)の次は「吉」と、縁起を担ぐ意味があったといわれている。
大相撲の関取が土俵入りの際に締める儀式用のエプロンの様なまわしのことをぶ。博多織や西陣織の帯の先端に豪華な刺繍などの絵模様を施し、約100本の馬簾が付いた非常に高価なまわしである。後援会などが昇進を祝って贈る事が多く、協賛企業の図案や力士に縁のある図案などがよく見られる。
寺社の建築、修繕などの募金を目的とした興行相撲のことを勧進相撲と呼ぶ。鎌倉時代末期から室町時代にかけて発生したとされ、江戸時代に入って職業的に基盤ができたが、のちに勧進の名は名目だけとなり都会や繁栄地で盛んに興行されるようになった。その後、元禄時代になると勧進相撲は年中行事となり、春は江戸、夏は京都、秋は大坂、冬は江戸で「四季勧進相撲」が行われるようになる。その後各地の相撲集団が誕生することとなった。
正式名称は軍配団扇。軍配が行司に伝わったのは、武士が戦陣の余暇に相撲技を競う際、軍配で勝負の判定をしたのが所以。それがのちに勧進相撲に用いられるようになったといわれる。素材は樫、シタン、カリン、欅など。軍配に書かれる文字には特に決まりはなく、行司によって異なる。また、行司の団扇の中には代々受け継がれている「譲り団扇」と呼ばれるものがあり、古くは江戸時代から伝わるものもある。
四十八手とは相撲の決まり手のこと。室町時代にはその名が見られ、江戸時代に入り整理された。投げ手十二、掛け手十二、反り手十二、捻り手十二を合わせて四十八手。その後、改訂や追加がなされ、現在日本相撲協会が認定している決まり手は八十二手である。
鎌倉時代に見物人が作った直7-9mの輪が土俵の起源。本来土俵とは相撲場を構成する土入りの俵を指す言葉であったが、後に土盛りした壇状の構築物全体を指すようになった。呼び出しが毎場所手作業で作り、土俵祭の際には昆布・米・スルメ・塩・榧の実が神への供物として埋められる。
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企画総指揮:佐藤純也
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